2012年05月17日

リーダーシップ

YMCAにいた頃、子どもたちを直接指導する人を「リーダー」と言いました。
私も学生時代にリーダーを経験しましたが
その後はディレクターとしての役割が多くなりました。

リーダーになるためには一定のトレーニングを受けます。
リーダーとしての心構えや実践、各部門の理論や指導実践も・・・・。

あるキャンプのリーダートレーニングの時、総合ディレクターの方が
「リーダーとは・・・」という話をしてくださいました。

リーダーとは必ずしも統率力のある人を指すのではない。
たとえば、キャンプ中にたくさん子どもと遊び
十分に子どもたちから信頼と好感を得ることができた大人が
ふと、自然の中に沈む夕日を見ながら
「この素晴らしい自然を守っていきたいな。」とつぶやいた時
そのリーダーのそばにいた子どもたちは自然保護とはなんだろうと考えるかもしれない。

この人のような感性を持ちたいと思うかもしれない。
・・・そう教えてくれました。


私が心理カウンサラーとして研究コースに進んだ時
「リーダーシップ心理学」についても学びました。
そこでは「リーダーシップとは影響力である。」と教えてくれました。

その影響力とは決して「優秀である」とか「好感が持てる」とかではなく
たとえ嫌悪感を持つような相手であったとしても
自分と比べて未熟に思えるような相手であったとしても

そのことによって、自分がなんらかの方向性を得たならば
それは相手のリーダーシップによるものだと・・・・。

私は今、ひまわり教室の代表として様々な活動をしています。
その私にとってのリーダーとは、教室に通ってくれる子どもたちなのかもしれません。
この子どもたちが健やかにたくましく生きて欲しいと願う気持ちが
私の原動力となっているのです。
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2012年05月07日

『縁を生かす』


不潔でだらしのない少年と、その少年を疎ましく思う先生。
やがて先生の知る真実、そして二人が結ぶ縁とは…。
大きな話題を呼んだ感動実話「縁を生かす」は、月間「致知」20​05年12月号の特集テーマです。

 その先生が5年生の担任になったとき、一人、服装が不潔でだら​しなく、どうしても好きになれない少年がいた。
 中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっ​ていた。

 あるとき、少年の一年生からの記録が目に留まった。
 「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来​が楽しみ。」とある。
 間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
 二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々​遅刻する。」と書かれていた。
三年生では、「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠り​をする。」
後半の記録では、「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる。」と​あり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症​となり、子どもに暴力をふるう。」

 先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然​、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現​われてきたのだ。
 先生にとって目を開かれた瞬間であった。

 放課後、先生は少年に声をかけた。
 「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強をしてい​かない?分からないところは教えてあげるから。」

 少年は初めて笑顔を見せた。

 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた​。
 授業で少年が初めて手をあげたとき、先生に大きな喜びがわき起​こった。
 少年は自信を持ち始めていた。

 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付​けてきた。
 あとで開けてみると、香水の瓶だった。
 亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

 先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んで​きて、先生の胸に顔をうずめて叫んだ。
 「ああ、お母さんの匂いだ!きょうはすてきなクリスマスだ。」

 六年生では、先生は少年の担任ではなくなった。
 卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
 「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中​で一番素晴らしい先生でした。」

 それから六年。またカードが届いた。
 「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらっ​て、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学す​ることができます。」

 十年を経て、またカードが届いた。
 そこには先生と出会えたことへの感謝と、父親に叩かれた体験が​あるから、患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めく​くられていた。
 「僕はよく、五年生の時の先生を思い出します。あのままだめに​なってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます​。
 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時​に担任してくださった先生です。」

 そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
 「母の席に座ってください。」
と一行、書き添えられていた。

本誌連載をご担当、鈴木秀子先生
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2012年04月24日

なにかになろうとしなくても

「なにかになろうとしなくても」

             鈴木 七沖

ひとりひとりが  せいいっぱい

光にむかって元氣よく

ただ まっすぐに お役目を
ただ ひたむきに 正直に

素直な わたしで あるならば

なにかになろうとしなくても
なにかになろうとしなくても

すべてが どこかで つながって

まあるい世界を つくるのです

まあるい 未来を つくるのです
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2012年04月17日

感性

昨夜、寝る前にこんな記事が目に止まりました。

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哲学者の芳村思風さんがご著書『感性の時代』の中で、次のような​ことをおっしゃっています。

「人格の柱は理性ではない。頭の良い人間が人格者であるとは限ら​ないからである。人格の柱は感性である」

「理性は嘘をつくことができるが、感性は嘘をつくことができない​」

「自由も平等も、善も平和も、愛も幸福も、みんな理性で考えて解​るものではなく、心に感じるものなのである。真実はいつも感性の​中にある」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


心が感じるもの。私はこの感覚がよくわかるし、とても大切にしています。
ストレスを感じる時は、この心(感性)が理性によって
押さえ込む「圧力」であるようです。

だから、知識が豊富で、それを頼りに生きている人は疲れるだろうな〜と思います。


悲しいこと、ムカつくことが起きたとき「悲しまない」「ムカつかない」と
圧力をかけるのはストレスになる。

悲しむ、ムカつく・・・は正しいとか間違いではなく、だだ「感じた」ということになります。
それをないものにするよりは、ちょっと観察してみる。

トゲが刺さっているのに「刺さってない!」と言って放っておくほうが心配です。

何に傷ついたのか、何にプレッシャーを感じたのか・・・
それは何故、そう捉えてしまったのか・・・
ちょっと見たくなくても、刺さったトゲを抜くようなつもりで、しっかり見つめて抜いたほうがいい。

「ポジティブ思考」と「ごまかし」は似て非なるもの。

私はよく明るい、ポジティブ、元気・・・と言われたりしますが
そうでもありません。

ただ・・・シンプルに、ニュートラルに生きていたいと思っています。


心と体と知性のバランスを大切にし、そして「私」も自然の一部である
センス・オブ・ワンダー(神秘さに感動する感性)を忘れずにいたいと思っています。
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2012年04月10日

聴くということ

コミュニケーションスキルのトレニングの時
相手との会話での「きく」というスキルがあります。

きく・・・には「聞く」と「聴く」があります。
「聞く」は音や声などを耳で感じ取る・・・という意味があるそうです。

「聴く」については、相手の話に「耳」+「目」と「心」と書くので
耳だけではなく、様々な感性を使って
相手に向き合い受け止めるという意味があるようです。


コミュニケーションに必要なのは「聴く」の姿勢です。


ところで、桜の時期、週末の鎌倉は観光客で大賑わいです。
先日、バス停で待っていると、ある親子が一緒に待っていました。
なかなかやってこないバスを気にして子どもさんが何度も道を覗いたり
時刻表を見て「ママ〜、今何時?ねえ、何時?」とたずねています。

お母さんはなかなか来ないバスに少し苛立っている様子。
そして「今日は土曜日だから!!」という返答。

ん?・・・・ん?
子どもさんは「何時?」とたずねているのに
「土曜日だから」という答えは、国語のテストで考えれば間違いです。

きっとお母さんは「今日は土曜日で道が混んでいるから
時刻表通りにはバスは来ないと思うよ。」と言いたかったのでしょうね。

私は大人ですし母親でもありますから、そのお母さんの心情は分かります。
でもね、子どもの気持ちも感じちゃうんです。

その子は「・・・・」と少し黙ってから、また時刻表を見て
道路を何度ものぞきこんでいました。

「この子、時刻表見れるっていうことが嬉しいのかも。
それで何時か分かったら、何分遅れてるとか分かって楽しいのかも・・・。」
そんなことも感じていたけれど、それ以上に

お母さんは僕が言ったことを聴かないで「聞いている」だけ。
・・・・そんな風に無意識に捉えてしまうような気がしました。

無意識だからね、恐いですよ。意識しているなら改善しやすいですけど。
あの子が、そのうち思春期や反抗期になって
お母さんが「今日は何時に帰ってくるの?」とたずねたとしても
「うるせ〜〜!」と返すようにならなきゃいいな〜なんて・・・
ちょっとね、苦笑いをしてしまった瞬間でした・・・。


もし、あの時のお母さんが子どもさんの言葉をきちんと聴いていたら多くの言葉なんていらない。
ただ「11時だよ。」と答えてあげればいい。

「バス来ないね」と子どもさんが言ったのなら
「そうだね。今日は土曜日だから道が混んでいてなかなか来ないみたいだね。」と返せばいい。


エネルギーやお金など様々な「節約」「エコ」が叫ばれていますが
言葉の節約までしたくはないですね。
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2012年03月26日

独立自尊

私がスポーツインストラクターになりたての頃
小学6年生のある女の子のお話です。

彼女は小学生の間、ずっとYMCA(私の元職場)のキャンプに参加していたようでした。
大人しくて、みんなが大はしゃぎしていても静かに見ているような子でした。

友達やスタッフが話しかけても、あまり反応がない。
私は「きっと親御さんに無理に参加させられてるんだな〜。」なんて思っていました。


私を含め、他の先輩スタッフもさりげなく声をかけながら見守っていたように思います。

そして彼女が小学校を卒業した春休みのある日。
YMCAに彼女から一通の手紙が届きました。

「小学校の卒業式では、涙は一つも出なかったけれど
 もうこれで、YMCAの小学生キャンプにはいけないんだ・・と思ったら
 たくさん涙が溢れてきました。」・・・そんな風に書かれていました。


私にとって、その言葉はとても衝撃的でした。
そして気がついたのです。

子どもたちが楽しそうにしているかしていないか・・・という反応は
実は自分が安心するために求めていたものだったんだ・・・と。
相手の反応によって安心するかしないかは、私の依存だったのかもしれません。

子どもに対して大切なのは、あるがままの存在を無条件で受け止めること。
心の中で「楽しい!」「嬉しい!」と思っていても
それを大人のために「表現しなくては!」と思って行動をすることは
ある意味「あるがまま」が歪んでしまうことかもしれません。


大人たちは自分の機嫌が良くなるために
どれだけ、子どもたちの意欲的な言動を要求していることでしょうか。

大人になるっていうことは「自分で自分の機嫌を取れるということ。」
子どもがどんな反応をしていても、心の内まで分からない。
「私がこれだけ一生懸命やってあげてるのに、反応しないなんて・・・」
そんな思いが私の中になかったかと言えば嘘になる。


「独立自尊」
大人は自分で自分を尊ぶ(機嫌が取れる)スキルが必要である。
そんなことを学んだ出来事でした。

今日はこれからひまわり教室のグループの子どもたちと戸外活動に出かけます。
子どもたち自身の感じ方を尊重できる・・・そんな私でいたいと思います。
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2012年03月18日

人生の幸福

こんなテスト問題がありました。

「キリン・ゾウ・ライオン・シマウマ・ウシ  
 この中で仲間外れの動物はなんでしょう?」

正解は肉食動物の「ライオン」となります。

でも、ある子どもは次のように記入したそうです。
「なかま はずれは いけません。」

学校の先生は当然のように×をつけた。

私は×なんてつけられない。
×どころか、きっときっと花丸をつけると思います。

大きな大きな花丸をつけて「そのとおり!」と書き添えるでしょう。

高い点数、良い成績を取ることに保護者や教育者が執着すると
その子どもの10年後20年後に大きなしっぺ返しがくるように思えます。

知識を得ることが人生の幸福へ、必ずしも繋がるわけじゃないことを
私たち大人が、しっかりと子どもたちへ伝えていく必要があると思うのです。
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2012年03月15日

生きる力

今年1月のイタリア豪華客船沈没事故は記憶に新しいですね。

昔「タイタニック」という映画を観ました。
あの豪華客船沈没も実際にあった話。


あの映画の主人公二人の切ない恋愛にジーンときた方もいたことでしょう。
でも、私は他の場面に心をひかれました。

一つは・・・
一等の大金持ちの老夫婦がベッドで、そっと体を抱き寄せながら
沈んでいくことを静かに受け入れているシーン。

もう一つは・・・
2人の子連れのお母さんがベッドで
「そして2人はティルナノーグの国で幸せに暮らしました」と
絵本を読み聞かせて寝かしつけているシーン。
この親子もまた船と共に深い海へと沈んでいったのです。


この老夫婦と母親は「すごい」と思います。
極限状態である中で「今ここにある幸福」を感じ取ろうとしている。
今、目の前にいる人が悲しまないように冷静さを保ち続けている。


人の価値は、お金でも名誉でもなく
このような極限状態に置かれた時に
どのような立ち振る舞いをするか・・・だと思っています。


今、日本人は物質は豊かで効率主義になっていて
だからこそ、ちょっとしたストレスに耐える力が弱いとも言われています。


本当の意味での「生きる力」とは
極限状態においても自我をコントロールできる力なのかもしれません。
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2012年03月06日

信じ抜く力

ある講演会でシンポジウムの時間になった時に
参加者の男性が「あの世というのは本当にあるのですか?」
という質問をされました。

10名ほどの登壇者の中で、お一人の方が次のように答えました。
「あの世はある!と思ってご自分がHappyになられるのであれば
 ある!と思われて良いのではないでしょうか。
 ない!と思ったら、あなたの中ではないということになります。
 科学的にあるのかないのか、ではなく個人の捉え方だと思います。」


なるほどね。
科学的に証明されることが「幸せ」に繋がるかというと、そうでもないですよね。


もしも、私の講演会で同じような質問を受けたら
「私はまだ死んだ事がないのでわかりません。(^0^)」と答えようと思っています。

でも信じることで、自分が幸せになり、誰かを不幸にすることもないのなら
私は大いに信じることをオススメします。


最近、メッセージ交換をさせていただいている野口嘉則さんという方がおられます。
「鏡の法則」や「心眼力」という名著を書かれた方です。

その心眼力という本にはこう書かれていました。
「心の目で相手の素晴らしい本質を見て、相手のことを信じ抜く力」

これは子育てにおいても、教育においてもとても大切なスキルだと思います。


ひまわり教室で子どもさんが誰かの物を隠したり、物を壊したり
周囲を傷つけるような言動をする時があります。

私は「それはしてほしくないよ!」と伝えます。
入会して日の浅いお子さんの中には「先生は僕が嫌いなんだ!」と返すことがあります。
私は必ず「あなたのことは大好きです。あなたのやったことが問題なの。」と返します。

「なんで好きなの?」と聞かれることもあります。
「好きに理由なんてないよ。好きだから好きなんだもん。」と返します。
時には「〇〇くんがいるとホッとする。」とか「ワクワクする。」と伝えます。


叱ることはあっても怒る(いかる)ことはしません。
「他の人がどう思うかは分からない。でも私は悲しい気持ちになったんだよ。」と伝えます。
他の人の迷惑になるから・・・とか、みんながそう思っているはず・・・とか
そういう不確かなメッセージは逆効果です。

なにがあっても「あなたのことは大好き」という無条件の受容。
その上で、こちらのお願いを「みんな」ではなく、「私は」と伝えていく。

そして、何よりも大切なのは「相手の素晴らしさを信じ抜く力」
このスキルは支援者(教育者)として基礎の基礎と言えるだろうと思います。

子どもにばかり「成長」を求めているなんて、もったいない。
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2012年03月01日

同意と不安

「いけないじゃないですかぁ?」「それって変じゃないですかぁ?」
・・・という言い方をする方にお会いすることがあります。

私も無意識に使っているかもしれませんが・・・
お会いした方に「じゃないですかぁ?」と言われて戸惑うことがあります。

「いや・・・別に私はそうは思わないけれど・・・。」という返答を
なにげに拒否されているような感覚を持つのかもしれません。

特に誰かを批判や中傷しているような話で
「そういうのっていけないじゃないですかぁ?」と言われても私は戸惑うのです。

疑問文であるようで、強制文のような会話。

昨日のマンツーマン学習で高校生のNくんと英語をやっていた時
「英語は主語がはっきりしているけど、日本語って曖昧なことが多い。」
という話で、しばらく盛り上がりました。

「〜〜じゃないですかぁ?」はまさに主語が曖昧なのです。
誰が思ったの?私・・・?あなた・・・?世間・・・?

戸惑いつつも、私はお話をしてくださっている「ご本人」が
「そう思っている。」ということなんだな・・・と解釈をするようにします。
そして安易に「私もそう思います。」とは言わないようにしています。
その方の話であって、私の話ではないのですから。

自分だけがそう思っているいうことが「不安」だから同意を求めるのかもしれません。
それは、かなり無意識の作用であるためご本人も気がついていないと思います。
問題は、その方が不安を抱えている根本的な原因はなんなのか・・・
ということになりますが・・・そのお話ははまた別の機会に・・・。
(*^ー^*)
posted by スタッフ at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | なっちゃん